バックナンバー

2018.06.06 UP
ポラリス|ロング・インタビュー|二人の出会いから現在(2018年)までの軌跡

インタビュー|望月哲

■Polaris結成前夜

──お二人が最初に出会ったのはいつだったんですか?
オオヤ 2000年の春頃かな。僕はクラムボンとかSUPER BUTTER DOGのメンバーと仲がよくて、時間が合えばしょっちゅうお互いのライブに遊びに行ってたんだよね。で、クラムボンが出演するあるイベントに遊びに行ったら、ミトが、「やべえ! 今日、柏原譲来てるぞ」って言ってきて(笑)。僕らはお客さんとしてフィッシュマンズのライブを観ていた側だったので、当時は「柏原さん」とかじゃなくて「柏原譲」って感覚だった。

──ファン感覚の呼び捨てで(笑)。
オオヤ そう。「矢沢がさぁ」みたいな。矢沢永吉ファンの人も「矢沢さん」とは言わないじゃん。で、終演後に譲さんが突然、楽屋に登場したんですよ。それが最初の出会い。

──譲さんは、どういういきさつでそのイベントに足を運ばれたんですか?
柏原 クラムボンに興味をもったのが最初のきっかけですね。以前所属していたレコード会社のディレクターに連絡を取って、「最近面白いバンドいますか?」って聞いたら、クラムボンを教えてくれて。で、そのディレクターの人がミトくんに「今日、柏原さんがライブを観にいくから」って言ってくれたみたいで。
オオヤ そうしたらミトのテンションが上がっちゃって(笑)。
柏原 だって自分たちが出るイベントなのに、ミトくんがロビーで俺のこと出迎えてくれるんだよ(笑)? 当時、俺は音しか聴いてなくてクラムボンのメンバーの顔も知らない状態だったから、「この人、スタッフかな?」とか思って。
オオヤ ははは。
柏原 で、オオヤくんと会ったのは後日、2回目にクラムボンを観たイベントだったかな? 
オオヤ 赤坂ブリッツでやったイベント。それで挨拶もそこそこに譲さんを打ち上げに誘ったんですよ。
柏原 打ち上げがまた濃かったよね。
オオヤ 1軒目は普通の居酒屋で。だけど人数が多かったから、みんな譲さんと、あまり話ができなくて。でも僕らは譲さんと話したいから、(永積)タカシと(原田)郁子ちゃんとミトと一緒に「譲さんとどこかに行こう」ってことになって赤坂の会員制バーみたいなところに行ったんです。
柏原 そうだそうだ。あの日はディープだったよね。酔っぱらった永積くんが歌いだしたりして。
オオヤ ははは。でも実はあの日、俺、緊張しちゃって譲さんとあんまり喋れなかったんですよ。
柏原 「バンドをやってたんだけど解散しちゃって今は何もやってないんです」とか。それぐらいだったよね?
オオヤ そうですね。
柏原 で、その日は朝までいて。ただその後、気になって「あの人の曲、ちょっと聴いてみたいな」と思ったんだよね。で、ミトくんに連絡取ってもらって。
オオヤ いやあ、びっくりしましたよ。「譲さんが、オオヤくんと連絡取りたがってるって」言われて。

──初対面で、しかもあまり話もしてなかったわけだから、まさか連絡が来るなんて思わないですよね。
オオヤ 全然思ってない。それで譲さんに連絡したら「会おう」って話になって。

──どこで会ったんですか?
オオヤ 下北沢で。以前やってたバンドの曲とかをとりあえず聴いてもらって。ちょうどその頃、曲作りをしてたから、「光と影」とかあのへんの曲も聴いてもらったのかな?
柏原 ああ、最初に聴かせてもらった新曲は「光と影」だったね。

──「光と影」を聴いたときどんな印象を受けましたか?
柏原 純粋にいい曲だなって。でもオオヤくんからは、最初は「自分の曲でベースを弾いてほしい」みたいな感じで話をされたんだよね。
オオヤ うん。一緒に何かを作りましょうみたいな話をいきなりするのは失礼かなと思って。譲さんは譲さんで何か他のプロジェクトが進んでるかもしれないし。
柏原 でも俺は、「光と影」を聴いて、いい曲だし、どうせだったらバンドみたいな形でやったほうが面白くなるんじゃないかと思ったんだよ。

オオヤ まさか譲さんのほうから、そんなこと言ってもらえると思わないから、めちゃくちゃうれしかったですよ。ちなみに俺、そのとき完全に無職で、20代中盤だったけど彼女に食わしてもらってたんで(笑)。
柏原 そんな人、当時はいっぱいいたよ(笑)。

──でも曲作りはしてたわけだから、一応生産性のある行為はしてた、と。
オオヤ かろうじてね(笑)。でも2人で一緒にやるにしても、どうやって曲を形にしていったらいいか全然わからなくて。それで、ライブの出演が決まったりすると、何か動き出すきっかけになるんじゃないかって話になったんだよね。
柏原 で、オオヤくんが誘われてるイベントに2人で出ることになった。
オオヤ 音楽評論家の高橋健太郎さんがやってたイベント。ドラムがいないから、まずはトラックを作ろうってことになって、うちで作業したんだよ。

──オオヤくんの自宅で?
オオヤ そう。譲さんが車でMacを持ってきてくれて。
柏原 当時のMacだからデカいんだ(笑)。
オオヤ 僕はAKAIのサンプラーを持ってたから、それを使ってプリプロしようってことになって。
柏原 和室の畳の上であぐらかいて作業して。
オオヤ しかも真夏でね(笑)。

■活動開始

──最初のライブはどんな感じだったんですか?
オオヤ 高円寺のマーブルトロンっていうお店でやったんだけど、2人で出てったらお客さんがびっくりしてた(笑)。譲さんと一緒に演奏するって告知してなかったから。

──それはザワつきますね(笑)。演奏したのはオリジナル曲?
オオヤ いや、カバーだった。フィッシュマンズの「ナイトクルージング」とか細野晴臣さんの「ハニー・ムーン」を演ったのかな。そのライブを観て、マーブルトロンのスタッフが「何か一緒にやりませんか?」って声をかけてくれて。

柏原 食い付きよかったよね。音源も何もないのに。
オオヤ それで、そのままマーブルトロンにマネジメントをお願いすることになって。
柏原 ああいうカフェみたいなスペースで最初のライブをやれたのはよかったかもね。それまでライブハウスでしかやったことがなかったから、自分にとってもすごく新鮮で。
オオヤ 今でこそカフェライブみたいなことって普通になってるけどね。当時は珍しかった。
柏原 そう。だから、「これからは、こういう場所から音楽が生まれるんだろうな」って、なんとなく思った。
オオヤ それは感じたよね。畳の部屋でプリプロしたところから、すっと自然にライブに行けた感じ。
柏原 「1発目は野音のイベントで」とか言われてたら、うまくいかなかったかもしれない。

──じゃあ、バンドとしてすごく自然な形でスタートを切ることができたと。
オオヤ うん。

──ドラマーの坂田学さんが加入することになった経緯は?
オオヤ 何度か2人編成でライブをやったんだけど、やっぱりドラマーがいたほうがいいねって話になって。その頃、譲さんが、あらきゆうこちゃんと時々……あれは誰でしたっけ?
柏原 ジェシカちゃん。
オオヤ そうだ。ジェシカちゃんのサポートを譲さんとゆうこちゃんがやってて。で、譲さんから紹介してもらって、ゆうこちゃんを入れた3人編成で何度かライブをやった。だから初代ドラマーは、あらきゆうこちゃんなんです。

──そうだったんですか。
オオヤ 実は。でも彼女はコーネリアスでもドラムを叩いてて当時ものすごく忙しい時期だったんだよね。最初はパーマネントなドラマーとして参加してほしいと思ってたんだけど、さすがに難しそうだって話になって。それで青山CAYのイベントに出させてもらったとき、事務所のスタッフが「面白いドラマーがいるんだけど」って坂田学くんを紹介してくれた。
柏原 それで、とりあえずリハに入ってみようってなって。
オオヤ 3人でリハに入って「瞬間」って曲を一緒にやってみたら、まあ、学くんのプレイにひっくり返ったね(笑)。「瞬間」って、今のアレンジに比べてBPMがもっと遅かったんだけど、突然、学くんが倍のテンポで叩きだして。
柏原 あれは笑ったね。
オオヤ 凄すぎて圧倒された。もう、一緒にやらない理由がないというかさ。

Polaris

──その後、2001年11月にミニアルバム「Polaris」がリリースされます。

オオヤ いや、その前にマーブルトロンのカフェでやったライブを収録したライブ盤(「ライヴ・アット・サロン・バイ・マーブルトロン」:2001年発表)を枚数限定で出したんだよね。

──あ、そういえば最初にリリースした音源はライブ盤でしたね。
オオヤ そう、ライブ盤。カフェライブをオフィシャルのブート盤みたいな感じで出そうって話になって。それが2001年の春ぐらい。その頃には、新しく作った曲のアレンジも固まっていたし、それをスタジオで録音しようってところから最初のミニアルバムのレコーディングがスタートしたんだよ。マーブルトロンの地下2階にあったスタジオで。かなりインディペンデントなスタイルで録音した。

Polaris

柏原 予算も全然なくて。じゃあ自分たちで録るかって話になって。で、マイクを買いに行ったのかな。
オオヤ ボーカルブースを自分たちで作ったり。とにかく何もなかった(笑)。ただ、そこのスタジオは24時間いつでも使える状態だったから、いろんなことを試せたよね。
柏原 所属アーティストが俺たちと、ナタリー・ワイズしかいなかったから。
オオヤ マイクを立てる位置ひとつ取っても、ああでもないこうでもないって試行錯誤して。それまではエンジニアの人が、そういうことを全部準備してくれてたから。

──そこでの学びや気づきも多かった?
オオヤ すごく多かった。自分がやりたいことをひたすら追求できたし。

──出来上がった作品を聴いてみていかがでしたか?
オオヤ すごく感慨深いものがあった。僕は学生の頃から音楽の聴き方がすごく雑食的で、ハードコアパンクも聴けば、クラブミュージックも聴くような感じだったんだよね。そんな中で、いざ自分で音楽を作ろうとしたときに、果たしてどういうものが自分の純粋な音楽表現なのかっていうのを高校生ぐらいからずっと模索してたの。そういう時代から始まって、1回メジャーデビューしたけれども、やっぱり試行錯誤の連続で。自分が作りたいものをようやく作れたというか。

──自分のコアな部分を音楽という形で表現することができた。
オオヤ そう! だから最初のミニアルバムは自分としても、すごく手応えがあった。たぶんあのタイミングであの作品を作ってなかったら、今どういう生活をしてるか全然想像できない。

──もしかしたら音楽を続けていなかったかもしれない?
オオヤ そうだね。全然違う仕事をやってるかもしれない。趣味として音楽をやってるかもしれないけど、仕事にはしてないかも。

──ある意味、オオヤくんの音楽家生活を左右するような作品だったと言えるわけですね。
オオヤ 今思えばそういう作品だったんだね。20代半ばの、2000年から2001年ぐらいって、1年中制作してるような感じだったんだけど、それをやったことで、「ああ、自分から出てくる音楽ってこういう感じなんだ」ってわかった気がした。あとは譲さんっていう、一緒に音楽をやってくれる先輩が現れたっていうのが、自分にとってはものすごく重要なことで。好きだなと思ってる音楽をやってる人と直接一緒に音楽を作れることは、とにかく大きかった。

■1stアルバム「HOME」発表

Polaris

──2002年11月には初期Polarisの集大成的な作品ともいえる1stアルバム「HOME」がリリースされました。
オオヤ うん、まさに集大成だね。結成以降の濃い時間が1枚に詰まった感じ。
柏原 俺は「HOME」が完成して、すごく安心した記憶があるな。とにかく、すべてが手探りだったから。引き続きマーブルのスタジオでレコーディングしてたんだけど、本当にこの場所で、この人数だけで1枚のアルバムが完成するのかって思ってた。エンジニアもいない状況で、どうなるんだろうって。
オオヤ 途中から中野さんってエンジニアの人に手伝ってもらって、なんとかアルバムが完成した感じだったね。
柏原 だって俺なんて、何曲かミックスまでしたじゃん(笑)。ミックスのやり方なんてエンジニアじゃないからわからないしさ。で、中野さんに夜中スタジオで、ミックスのやり方を教えてもらって。今考えたら、中野さんもよく、そんなこと教えてくれたよね。その経験を通じて、これからは全部自分たちで作品を作っていくような時代になっていくんだろうなって思った。

──作品としての手ごたえはいかがでしたか?
オオヤ ギター、ベース、ドラムの3ピースで音楽を全部形作るっていうことが、自分にとってすごく刺激的だった。「こういう曲だったら弦を入れちゃおう、打ち込み入れちゃおう」とかじゃなくて、弦を補うために3人でどんな音を出していくかっていう。それを追及していくことで、今まで知らなかったような世界を知ったというか。アウトプットされてるサウンドはそう聞こえないかもしれないけど、「HOME」って実は非常にバンドっぽい音の作り方なんだよね。
柏原 ないものは自分たちで作るみたいな感じだった。アレンジもどういう形がベストなのか、ひたすら3人で模索して。既存のフォーマットっていっぱいあるんだけど、それに乗っかっても、あんまり満足できないから。
オオヤ オリジナリティということには、すごくこだわってたね。音の録り方も、アレンジの仕方に関しても。だから充実してたのと同時に、ものすごくしんどかった。あんなにストイックな時期っていうのは、自分が音楽やってた時間の中でも、そうそうなかったかも。ストイックっていうか、病気になっちゃうぐらい音楽と向き合ってた気がする。

──改めて聴くと「HOME」にはピンと張りつめた緊張感のようなものを感じます。
オオヤ 今思えば、ライブでも曲を演奏することに必死でお客さんのリアクションとか全然覚えてないんだよね。

──楽しませたいとか、そういうところまで意識がいかなかった?
オオヤ 全然。もちろんお客さんに楽しんでほしい気持ちはあったんだけど、自分たちがライブを楽しむ余裕はなかった。楽しむみたいな方向に意識が向かったとたんに、いろんなことが破綻しちゃう、みたいな。

──じゃあ、ライブが終わったら毎回ヘトヘトですね。
オオヤ ヘトヘトだった。ライブ後に打ち上げにいったような記憶があんまりないもんね?
柏原 そうだね。エネルギーを使い果たしちゃって。
オオヤ 終わったらすぐに帰ってたもん。毎回、真っ白に燃え尽きてた。ライブ終演後特有の覚醒して気持ちいい、みたいな状況はなかった。でも、それぐらい音楽に入り込める大事な時期だったんだよ。

──1stアルバムからちょうど1年後の2003年11月に2枚目の「FAMILY」が出ています。このアルバムは楽曲もバラエティに富んでいて、すごくキャッチーな雰囲気の作品ですね。

Polaris

オオヤ さっき話した修行のような2年を経て生まれたアルバムだったんだけど、作品の印象としては、なんて言うんだろう……ほらよくあるじゃない、高校球児がひと冬超えたら、いきなり150㎞の球を投げられるようになった、みたいな(笑)。

──冬場の走り込みが実を結んだ的な(笑)。
オオヤ そう、本当にそういう感じだった。「HOME」までのストイックな時期を経て、ちょっと違う感じで音楽に向き合えるような感覚になったのかな。ライブをやっていく中でも、「もう少し、こういう曲があったほうがいいかも」とか思えるようになって。

──心に余裕が出てきた?
オオヤ そうだね。あと大きかったのは、マーブルトロンのスタジオから出たことかもしれない(笑)。
柏原 ははは。それは大きかったかもね。
オオヤ 地下2階から脱出できたっていう(笑)。もちろんマーブルのスタジオで得たものも、バンドにとってすごく多かったんだけど。
柏原 「FAMILY」のレコーディングはzAkのスタジオでやったんだけど、zAkと作業することで、作る人がもう1人増えたっていう感覚があったね。
オオヤ うん。メンバーが増えた感じだった。
柏原 曲のアイデアが広がったし、僕らは音楽のことを考えればいいっていう状況になって。なんと言ったって、エンジニアの人が録音してくれるんだから。普通の話だけどさ(笑)。
オオヤ いや普通の話だけど、当時のPolarisにとっては重要なことでしたよ。
柏原 やっとシャバに出たみたいな(笑)。
オオヤ zAkさんのスタジオは地下1階だったから地上に出たわけではなかったんだけど(笑)。バンドを取り巻く状況が変化したことで、曲作りに臨む気持ちも変わったんだと思う。

──心に余裕が生まれることでバンドを客観的に見れるようになったんですかね。
オオヤ そういう瞬間があったのかもしれない。当時、シングルを出そうみたいな話になったんだけど俺、結構びっくりしたんだよね。「え!Polarisでシングルは無理でしょ!だって曲の長さが10分あるんだよ?」みたいな(笑)。そしたら「10分を3分に縮めてください」って言われて。それで所属してたレコード会社と揉めたり(笑)。でも、それも健全だな、みたいな。

──レコード会社からしたら、Polarisを推したいから、ラジオとかでオンエアしやすいように短い尺のシングルを切りたいと思ったんだろうし。
オオヤ そうそう。いろんな人が意見を言えるようになったわけだから、すごく健全だよね。「FAMILY」っていうアルバム自体、新たなことにチャレンジしてみようっていう意識がすごく表れてる。「深呼吸」だったり「檸檬」とか、あのアルバムには今でもライブで演奏してる曲がいっぱい入ってるし。ライブ映えする曲が多くて、ちょっと体温が高めな作品だよね。今のPolarisの感じに似てるなと思う。

■ドラマー坂田学脱退

Polaris

──そんな感じでバンドがいい方向に向かっている中、2005年3月にドラマーの坂田さんが脱退してしまいます。
柏原 彼はもともと、いろんなことをやりたいプレイヤーで、Polarisだけで活動していくことが、しんどくなってしまったんだろうね。
オオヤ 学くんはギターを弾くのも好きだし、あとソロ活動をしたいっていう気持ちもあって。
柏原 でも結果的には、お互いにとってよかったと思うよ。
オオヤ 今思えば、いいタイミングだった。まあレコーディングの途中だったから大変といえば大変だったんだけど(笑)。

Polaris

──次のアルバム「Union」(2005年8月発表)のレコーディングが始まっていたんですね。

オオヤ 最初にシングルを作りましょうって話になって、その作業からの流れでアルバムのレコーディングをする感じだったんだけど、シングルの録音が終わった直後に「辞める」って言われて。俺、学くんに正直言った気がするもん、「タイミング悪っ!」って(笑)。
柏原 はははは。でも俺は似たような経験をしてるから。フィッシュマンズのときにHAKASEが辞めたタイミングと似てるんだよね。「空中キャンプ」のレコーディングで、1曲録った時点で辞めちゃったから。
オオヤ ああ、一緒だ。
柏原 「おい!」みたいな(笑)。

Polaris

──「Union」のレコーディングはどうやって進めていったんですか?
オオヤ レコーディングのスケジュールも決まってたし、2人で途方に暮れた(笑)。でも止めるわけにいかないから、じゃあ作業を分担しようという話になって。で、譲さんがドラムの打ち込みを始めて。
柏原 必死だったよね。
オオヤ でもそんな中で、ふと気づいたことがあって。俺の中で譲さんって部活の先輩というか(笑)、ずっと怖い存在だったんだけど、「Union」の作業を通じて、「あれ? 同じ感覚でモノを作れてる?」って思えた瞬間があったんだよね。
柏原 ははは。

──心のどこかに「目上の人」という感覚が残っていた?
オオヤ 残ってたね。でも、「いつの間にか同志になってる」と思えて。それがすごくうれしかった。
柏原 いやいや立場は同じだから。とにかく前に進まなきゃいけなかったからさ(笑)。
オオヤ そんな状況だったから手を借りられる人にはどんどん手伝ってもらおうってなって。「郁子ちゃん、すぐ来て!」みたいな(笑)。歌詞を書いてる時間がないから、郁子ちゃんを喫茶店に呼び出して、「詞を書くの手伝って」ってお願いしたこともあった。「It’s all right!」って曲があるんだけど、「この歌詞どうかな?」って聞いたら、「全然ダメ!」ってダメ出しされたり(笑)。でも2日後には録らなきゃいけないから、どうしようみたいな状況で。

──そこまで切羽詰まった状況だったんですね。
オオヤ ギリギリまで追い詰められた。で、譲さんは打ち込みでビートを作ったりっていう作業を同時進行してて。
柏原 でも何曲かは、あらきゆうこちゃんにドラムを叩いてもらったんだよ。ちょうど彼女も手が空いてた時期で。
オオヤ ずっとドタバタだった。だから、あのアルバムって統一感が全然ないの。「Union」ってタイトルなのに(笑)。

──確かに(笑)。
オオヤ あと妙に長い。作品全体に重さがあるしね。

──確かにアルバム全体に、なんとなく重い雰囲気があると思っていたんですけど、もしかしたらそういう制作背景も関係してるんですかね。
柏原 やっぱり、そこは関係あると思いますよ。
オオヤ 人が作ってるものだからね。
柏原 特にPolarisはそういう影響を受けやすいかもしれない。
オオヤ それにしても、「It’s all right!」が、まさかその後、ライブの定番曲になるとは思わなかったね。

Polaris

──ギリギリの状況から生まれてきた曲が。
柏原 郁子ちゃんには足を向けて寝れないよね(笑)。
オオヤ でも、いろんな意味で、「Union」を作ったことは大きかった。あの必死さが新しい流れを生んだのかもしれない。ohana(オオヤが原田郁子、永積タカシと2005年に結成したユニット)が動き始めたのは「Union」をリリースした後だったんだけど、たぶん「Union」の作業で何かが盛り上がっちゃったんだろうね。

Polaris

柏原 もともとohanaはオオヤくんと郁子ちゃんの2人でやろうと思ってたの?
オオヤ 僕が郁子ちゃんのソロアルバムをプロデュースしてて、そこにタカシが登場して3人で曲を作るっていうのはあったんだけど……要するに「Union」のときに、みんなを巻き込んじゃったんだよね(笑)。タカシも相当巻き込んだから。曲のデモを聴かせて「これ、どう!?」って迫った記憶がある。確か3人でその曲を歌ったりしたんだと思う。で、これは面白いからユニットをやろうよって3人で同時に言った記憶があるな。

──ohanaの結成には「Union」が大いに関係していた。
オオヤ 今思えば、ものすごく関係してる。

Polaris

Polaris

──ベストアルバム「音色」(2006年3月発表)を挟んで、2006年の10月には4thアルバム「空間」がリリースされています。この作品にはゲストが多数参加していて、どこかセッションぽい雰囲気がありますね。

オオヤ この時期は郁子ちゃん、宮田まことさん、ダーツ関口さんとか、ライブのメンバーが増えてきて、ある種、“開いたPolaris”を作るようなライブを重ねてた時期だったから、その流れでアルバムを作った感じだよね。だからセッションっぽいっていうのもそうだし、あとはゲストで参加してくれたミュージシャンにアイデアをもらったり。ああいう作品は、Polarisでは後にも先にもないかもしれないね。

■活動休止

Polaris

──その後Polarisは、しばし活動休止期間に入ってしまうわけですけど、公式にアナウンスはしたんでしたっけ?
オオヤ アルバム発表後にツアーをやって、ライブアルバム(「Live at SHIBUYA-AX 2006/11/10」:2007年4月発表)を出して……活動休止期間に入ったのは2007年の夏くらいかな。活動休止に関しては、あまりおおっぴらに発表しなかった。別に解散するとか、そういう話じゃなかったし。

Polaris

──活動休止の理由はどういうものだったんですか?
オオヤ 自分の話で言うと、Polaris以外の仕事のフィールドがだんだん広がってきて、そっちに力を注ぐ機会が増えてきたことがあって。それこそohanaの活動もあったし。まあ……それ以外にも、ややこしい話はいろいろあったんだけど。
柏原 当時所属していたレコード会社自体に大きな動きがあったり。
オオヤ 大変な時期だったよね。いろんなことが機能しなくなって、バンドが物理的にちょっと動けなくなっちゃって。だから、むやみにジタバタしないほうがいいかなって。
柏原 あの状況で動いても絶対いい方向には向かわなかっただろうし。

──その後、お二人は各自で音楽活動を展開していくことになります。
オオヤ おのおのちょっと違う時間を過ごしていた時期だよね。

──お互い連絡を取ったりは?
オオヤ あんまり取ってなかった。それほど遠いところにいるわけじゃないから、お互いがどんな活動をしているのかは、なんとなく知ってたし。

──折に触れてPolarisのことが頭にちらついたりっていうのは。
オオヤ どうなるんだろうなとは思っていたけど……せっかくこういう機会に恵まれたわけだし、当時は目の前にある新しい物事を楽しもうと思った。バンドのサイクルがあると、例えばソロ活動とか、じっくり映画音楽を作るとか、そういうこともできなかったし。

──譲さんは、その時期どんなことを考えていましたか?
柏原 俺はOTOUTAやSo Many Tearsというユニットで活動をしてたんですけど、自分の中では音楽をやるっていうことは、バンドで曲を作って活動するということだから、なんらかのバンド活動は続けなきゃいけないと思っていて。ただ解散したわけではないんだけど、Polarisに関しては、あまり前向きに考えられない時期もありましたよ。「いつ活動再開するんですか?」って言われても答えられないし。
オオヤ Polarisについて、お互い閉じてた時期はあったよね。

──自分の中でPolarisを一旦封印したというか。
オオヤ 分かりやすい言葉だとそうだね。実際、いろんな人とコラボレーションしてみるということを意識的にやってたし。
柏原 そうこうしてる間にオオヤくんが突然ドイツに移住したり。いろんなことがあったね。

──そもそもオオヤくんはどういう理由でドイツに住もうと思ったんですか?
オオヤ バンドのサイクルから離れて、自分の制作活動を俯瞰で見られるようになったんだけど、せっかくだったら、もう少し思い切って違う活動とか考え方をしてみてもいいんじゃないかと思って。それこそPolarisを結成した頃と同じように、今自分が何を考えていて、そういう自分から一体どんな音楽が生まれてくるのかっていうのをもうちょっと知りたくなったんだよね。だったら完全に環境を変えるために海外に住んでみるのもいいんじゃないかって。それで間髪入れずに引っ越しちゃった。変な話、自分はすごく腰が重いというか、石橋を叩いて渡らないみたいな性格なんだけど(笑)、なんかもう、ここで一回飛び込んでみようと思って。

──譲さんはオオヤくんがドイツに移住したことについて、どう思いましたか?
柏原 全然知らなかったんですよ。たぶん移住して1年後ぐらいに風の噂で聞いたのかな。僕だけじゃなくて、周りの人、みんなそんな感じでしたよ。「全然聞いてない」って怒ってる人もいたし(笑)。
オオヤ 思い立って、すぐに移住しちゃったから(笑)。誰かに相談したら、止められると思ったんだよね。そんなに若くもなかったしさ。

──ドイツに住みはじめて音楽に対する意識や曲作りに変化はありましたか?
オオヤ 一番大きかったのは、それまで作ってきた自分の音楽を俯瞰で見ることができるようになったこと。改めて聴いてみるとPolarisってすごく独特で個性的な音を鳴らしてたんだなということに気付くことができて。

──離れてみないと見えないものってありますよね。
オオヤ そう。すごく大切なものを作ってきているんだなということが改めてわかった。あと日本の音楽業界の特殊さみたいなものにも気付かされたよね。例えば定期的に作品をリリースして、ツアーをやるっていうサイクル、制作の仕方や進め方とか。日本にいたときは普通だと思っていたことが、ことごとく実は普通じゃないんだなってよくわかった。これね、うまく伝わるかどうかわからないんだけど、自分の中では、ドイツで1回生まれ変わったような感覚があるんだよね。

──価値観が劇的に変わった?
オオヤ そうだね、完全に変わった。表現することに対して、相当疲れていたんだなということも知ったし。向こうで日本人のアーティストに会うことも意外と多かったんだけど、みんな自由に表現活動をしててすごく影響を受けた。そのへんがやっぱり今の活動の原点なんだよね。あと日本を意識したと言えば、やっぱり東日本大震災の影響も大きいかな。

──ああ、震災時はドイツに在住してたわけですよね。
オオヤ こういう言い方していいか分からないけど、離れたところに住んでるから、どうしても日本で起こっていることをリアルに受け止められない自分がいて。テレビで津波の映像とかが流れてるんだけど、どこか遠い外国の災害みたいに感じられちゃって。
柏原 CNNを観てるような感じなのかな。「昨日、アメリカで銃の乱射がありました」みたいな。
オオヤ 本当にそういう感じだった。自分が生まれた国で起きてることなのに、そういうふうに見えちゃったのがショックで。すごい疎外感があったの。自分がいる場所のはずなのに、自分のことのように感じることができない疎外感。例えば第二次世界大戦のときに、日本で終戦を迎えた人と外国に出兵していて終戦を迎えた人とでは、その後の人生観がすごく違うという話しを聞いたことがあって。ある意味、それに近い状況というか。自分の中にある日本人としてのDNAを強烈に感じたんだよね。

──ドイツに関する話で言えば、以前インタビューで聞いた、向こうで日本語で歌うとすごく受けがいいっていう話が印象的でした。

Polaris

オオヤ そうそう。向こうでも結構ライブをやってて。最初は英語で歌ってたんだけど、全然反応がよくなくて、あるときに日本語で歌ってみたの。そうしたらお客さんのリアクションが、ものすごくよかった。「聞いたことのない言葉だけど、いい歌ですね。何語ですか? ポルトガル語に似てるけど」とか感想を言ってもらえて。そもそも自分も10代で洋楽を聴きはじめた頃って、言葉の意味はわからないけどカッコいいなとか、そういう感じで音楽に接してたわけで。その感覚を肌で逆に感じさせてもらったのは新鮮だった。外国の人も日本語の歌を聞いてそういうふうに思うんだって。今まで作ってきたものは間違っていなかったんだっていう音楽家としての自信にも繋がったし。で、その頃には自分の中で閉じてたPolarisへの気持ちも徐々にほどけてきてたんだよね。

■活動再開

──そして、2012年9月にはついに6年ぶりとなるPolarisの新作「光る音」がリリースされます。再始動まではどういう流れだったんですか?

Polaris

オオヤ 再始動の直接なきっかけになったのは中澤さんの存在かな。中澤さんは当時僕らを担当してくれてたレコード会社のスタッフなんだけど、あるとき、中澤さんから「Polarisの曲を聴きたい」って熱のこもった連絡があって。すごくピュアな気持ちが伝わってきたんだよね。で、「久々にPolarisの曲を書いてみようかな」と思ってすぐに曲を作りはじめた。ただ、活動再開するのであれば譲さんに納得してもらえるような曲を書かないと意味がないから、そこは焦らずじっくりやっていこうと。それで幾つか作っていく中で「これだ」って思ってもらえそうな曲が「光る音」だった。
柏原 「光る音」を初めて聴いたときは、すごくPolarisっぽい曲だなと思った。あとで話を聞くと、オオヤくんの中でも意識的にPolarisっぽい曲を作ってくれたっていうのがあったみたいで。
オオヤ そうなんだよね。

──久々にレコーディングしてみていかがでしたか?
オオヤ 一緒に演奏して、びっくりするぐらい、すぐに昔の感じを思い出して。「久々とは思えないね」って言った記憶がある。
柏原 確かに5年経ってるとは思えなかったよね。
オオヤ あと僕は単純にものすごくうれしかった。一緒にまた演奏できることが。ちょっと照れ臭さもあったけど(笑)。でも、すぐに昔の感じに戻ったよね。
柏原 会ってすぐスタジオに入ったから。
オオヤ あれはよかったね。久々に演奏することで昔の感覚を取り戻して。でもそれはお互いの距離感みたいな話で。そこからPolarisとしての音を取り戻していくまでに、かなりの時間を要することになるんだけど。結局5年ぐらいかかったのかな。

──一緒に音を鳴らしていく中で、想像以上に感覚的なズレがあったということですか?
オオヤ 例えばライブするでしょ。そうすると、どんな感じがPolarisだったか忘れちゃってて。人と人という意味では、活動再開したことで昔の関係性に戻れたんだけど、音としては、なんて言うんだろう……1回更地になっちゃったんだなっていうことに気付かされたよね。ライブやレコーディングを通じて。

──更地ですか。
オオヤ うん、更地。作物を全部刈り取ってしまった状態だよね。活動休止してる間に、土の質はよくなっていたのかもしれないけど、そこに何を植えていくかを模索するような感じだった。それこそ2人でいろいろ考えて、Polarisっぽいと思うようなことをライブでやってみるんだけど、なかなかね……。お客さんも喜んでくれているようでいて、本質的な部分で「ちょっと違うな」と感じてたんじゃないかな。だからライブを続けていく中で、「これだと正直やってる意味はないな」って思ったこともあるよ。

──そこまで。
オオヤ 全然思った。それこそ日本に帰ってきたりだとか、当時は自分の生活環境が変化しはじめた時期でもあったし、いろいろ不安定だったよね。ある種、リハビリ期間みたいな感じだったのかな。……リハビリって言葉はよくないか。さっきの例えで言えば、もう一回、畑を開墾するみたいな感じかな。
柏原 崩壊したバンドスタイルをゼロから立て直す作業って言うのかな。
オオヤ それを肌で感じたんだよね、2人で。
柏原 例えばミトくんにライブに参加してもらったり、いろんな人の手を借りたりして、Polarisの音を取り戻すために、どういう刺激が一番いいんだろうみたいなところを探ってはいたんだけど……。
オオヤ 活動休止前の「Union」とか「空間」って結局、バンドのコアな部分で作った作品じゃなかったんだよ。あの時期はゲストに入ってもらったり、ある種、“開いたPolaris”だったから。初期の、それこそ3人だけでギューッてやってた、あの頃の感覚に戻って始める必要があるんじゃないかっていうところに最終的にたどり着いた。

──それは決して“あの頃のPolaris”に戻るっていうことじゃなくて、自分たちの今の生身でどこまでコアな表現をできるかっていうことですよね。
オオヤ うん、生身。そこに立ち戻る必要があったんだよ。
柏原 Polarisらしさの材料は何かと言うと、結局、音を鳴らしてる自分以外の何物でもないんだよね。そのときの自分自身というのが最終的には音楽に反映されるから。
オオヤ 2015年に「Music」ってアルバムを出すまで、その試行錯誤は続いたよね。逆に「Music」を完成させたことによって、「ああ、もうこれは、次に進むのかやめるのか二者択一だな」っていうぐらいの気持ちになった。Polarisを続けていくんであれば、常に自分たちのコアな部分と向き合っていかなきゃダメなんだって。もともと2人ともそういうタイプだと思うんだけども、あんまり音楽に関しては保守的なほうではないので。一番新しい、今の自分の音楽を表現したいタイプだから。

Polaris

──試行錯誤の末「Music」を形にできたことで、バンドとして一歩先に進めたわけですね。
オオヤ 本当にそう。「Music」を作ったことで、いろんなことがわかっちゃった。このままじゃ違うなって。
柏原 音楽を生業にして生きていくというのは、究極的には自分そのものを切り売りしていくことだから。結局包み隠さず自分を出すしかないんだよね。

Polaris

──小手先ではなく。
柏原 小手先は絶対通用しないから、その時に出せるすべてを出すしかない。そうするとアイデアやエネルギーは消耗してなくなるんです。それをどこかで補充して、また創作に向かう。音楽を続けていくっていうことは、結局、そういう流れの繰り返しなんですよ。それは、どんなミュージシャンでも一緒だと思う。だからもう、どういう曲を作るのかを先に考えるんじゃなくて、後付けでいいと思うんですよね。オオヤくんと作った楽曲が“Polarisらしい”と感じてもらえればいいっていうだけで。
オオヤ そういう話、よくしてたね。2015年あたり。よーく2人で話してた。
柏原 もう、オオヤくん持ってるものを全部出してくれればいいだけだと。そのときの一番いいものを。
オオヤ だから、その時期に音楽に対する意識であるとか、いろんなことが固まったよね。僕らとしては「Music」を作って、ようやく本格的に再始動したかなという感じ。
柏原 あと、その時期に事務所を移籍したっていうのも大きかったね。

■事務所移籍

──2016年にbud musicに移籍をされていますが、これはどういう流れで?
オオヤ 「Music」を完成させたことでバンドが新しいモードに入ったわけだから、より前に進むために、自分たちの周りの環境も変えたほうがいいんじゃないかという話になって、そのタイミングでbud musicの社長と出会って。いろいろ話をしていく中で、彼となら一緒に進んでいけそうだということで移籍することを決めたの。以前なら京都のレーベルに移籍するなんて考えもしなかったと思うけど。でも物理的な距離感とか、そういうのはどうでもいいかなって。意識や感覚を共有できるかどうかが一番大事だから。
柏原 事務所を移ったことで、スタッフも変わって。僕らにとってもすごく新鮮だった。

──同時期にNabowaの川上優さんがドラマーとして参加するようになったことも今のPolarisを語るうえで大きなトピックだと思います。
オオヤ その前は、あらきゆうこちゃんに叩いてもらってたんだけど、ゆうこちゃんのスケジュールがどうしても合わないときがあって。で、事務所の勧めもあって「Nabowaの川上くんはどうだろう?」って話になって。Nabowaのメンバーとは知った仲ではあったんだけど、世代的にかなり下だから正直不安はあったよね。
柏原 僕からしたら干支ひと周り以上違うのかな。
オオヤ あまりにも未知数すぎて。それまで一緒にやってたドラマーは基本的に同世代だったし。彼にとって重荷にならないかなっていう心配もあった。

──当然、年が離れていると気も使うだろうし。
オオヤ そうそう。

──実際一緒にやってみてどうでしたか?
オオヤ すごく新鮮だったよね。譲さんと、「新鮮だね」って話をした記憶がある。
柏原 スネアのチューニングひとつから違うんです。世代の違いで。
オオヤ 時代によってミュージシャンの感性ってやっぱり徐々に変化しているんだなって思った。自分たちからしたら独特に感じる感覚も、彼らからすると普通なんだろうなとか。まさに未知の感覚だよね。
柏原 それを感じたのと同時に、自分の感性の凝り固まり方にも気づかされて。
オオヤ それ、俺も感じた。自分では全然そんなつもりはなかったのに、やっぱりどこかで保守的になってるんだなって思った。
柏原 15歳も離れている人とやると、それがより浮き彫りになってしまうというか。
オオヤ 譲さんが言ってて印象的だったのは、「BPMが速い」っていうこと。
柏原 自分からしたら、ちょっと気持ち悪いテンポなんだよね(笑)。でもそれでいいと思うんだよ。だって聴くのは、俺たちじゃなくてお客さんなんだから。

──今の時代のビート感がこれなんだろうな、みたいな。
柏原 そうですね。実際ライブも盛り上がってるわけだし。
オオヤ 今ではバンドにとって優くんは、かけがえのない存在になってる。「なんで今日、このインタビューに参加してないの?」って感じだよね。後半から登場してもらってもよかったな。

──それぐらいバンドに馴染んでると。
オオヤ そう。バンドの3分の1を背負ってるのは大変だと思うんだけど。

Polaris

──リリースに関して言うと、bud music移籍後の初作品として2017年7月に7inchアナログシングル「深呼吸 / コスモス」がリリースされました。

オオヤ 事務所を移籍したことで、完全に新しい章に入ったんだよね。新しいチーム編成ができあがって、スタッフからやりたいアイデアもどんどん出てくるし。シングルは事務所サイドからのアイデアだったんだけど、今までPolarisでアナログを出したことがなかったから、すごくうれしかった。

──11月には現体制で初となるミニアルバム「走る」が届けられました。

Polaris

オオヤ 「走る」は、「天体」と地続きというか、ある種、スタート地点でもあって。アルバムのイメージをしながら作業を進めていったんだけど、そこに優くんやエンジニアのKCくん(岩谷啓史郎)といった新しい顔ぶれが参加してくれたのが大きかった。
柏原 KCくんとの出会いも大きかったよね。
オオヤ そうだね。まずスタジオがすごかった(笑)。
柏原 奈良の一軒家だからね。家が防音対応に作り変えられてて。
オオヤ びっくりしたね。玄関に入ると普通に水槽があって魚が泳いでるみたいな感じなんだけど、靴を脱いで家にあがってドアを開けたらスタジオになってる。もう完全なスタジオ。

──日常と非日常が交差する空間ですね(笑)。岩谷さんがエンジニアを担当することになったのはどういう流れで?
オオヤ もともと自分は、Nabowaのレコーディングに参加したことがあったんだけど、そのときにエンジニアをしてたのがKCくんで。彼はもともとzAkさんの下で働いてたんですよ。フィッシュマンズのライブの録音とかも手伝ってるのかな?
柏原 KCくんがzAkのアシスタントをやってたって話は聞いていたんです。でも実際に彼がどういう作業をして、どういう音を作るのかは全然知らなくて。で、Nabowaの作品を聴かせてもらったら「ああ、すごいじゃん」と。
オオヤ 俺もNabowaのレコーディングのときに、すごい人がいるんだなと思った。結構久しぶりに。

──その、すごさって具体的にはどういうところなんですか?
オオヤ エンジニアって、ミュージシャンのやりたいことをサポートするような立ち位置なんだけど、KCくんはある種、共同制作者みたいな視点を持ってるんだよね。しかもそれがすごく客観的で。Polarisで新しい録音をするんだったらKCくんにお願いしたいって、譲さんに相談して。
柏原 奈良でレコーディングをするわけだから必然的に合宿レコーディングみたいなかたちになるわけで、それもバンドにとってすごくよかった。
オオヤ 新鮮だったよね。
柏原 あと、バンドにとってよかったことと言えば、事務所を移籍してライブをすごくたくさんやるようになったこと。それによってバンド目線で曲を作れるようになって。やっぱりキャリアを重ねていくと、ずっとツアーに出て曲を演奏することとか、だんだんなくなっちゃうから。ある時期ライブでやって、おしまいみたいな。実際、以前のPolarisってそういう感じだったしね。
オオヤ 経験的にそれで大丈夫だろうって感じでやってたところもあったんだけど、そこを1回やり直した。
柏原 有無も言わさずだよね。ひたすら練習、ひたすらライブっていうのを経て曲を録った。だから悪いわけないんです。
オオヤ うん。悪いわけないね。
柏原 本来バンドの曲っていうのは、こうやって作るものなんだなという。

──ライブで演奏を重ねながら曲を固めていく、みたいな。
オオヤ うん。それを再確認したところはあるよね。

■「SEASON」と「オハナレゲエ」

──「走る」の後には、フィッシュマンズの「SEASON」(12inchシングル「SEASON / 光と影」:2017年12月発表)、ohanaの「オハナレゲエ」(7 inchシングル「オハナレゲエ / とどく」:2018年5月発表)という、お二人にとって関係性の深い楽曲のカバーをシングルとして発表しました。そこにはどんな思いが込められていたんでしょうか?

オオヤ フィッシュマンズの曲は、それこそベルリンに住んでいた2012、13年頃にソロでカバーし始めたんだけど、それまでは自分の大好きな曲って、大事すぎて演奏することができなかったのね。でも、ふとそれを自分なりに表現してみたくなった瞬間があって。「SEASON」に関しては3、4年前から歌ってるんだけど、ある時、「今、こういう感じで歌ってます」って、譲さんにそれを聴いてもらったんだよね。そうしたら譲さんが「これはもうオオヤくんの歌になってるから、Polarisで演奏しようよ」って言ってくれて。その言葉は、自分にとってものすごく励みになった。
柏原 「SEASON」のカバーを初めて聴かせてもらったとき、歌もアレンジも完全にオオヤくんのものになってるなと思ったんだよ。それを僕らが演奏したら今のPolarisの音になるんじゃないかって。フィッシュマンズの曲をやることによって、いろいろ言う人もいるだろうと思ったけど、最初に欣ちゃん(茂木欣一)とzAkにカバーすることを伝えて。近しい人に言っておけばそれでいいやと思って。実際作品をリリースしてみたら、昔からのフィッシュマンズを好きだった人にも「すごくよかった」って言ってもらえて。
オオヤ うれしいよね。ファンの中にもいろんな思いがあるだろうから。
柏原 佐藤伸治が不在の中、フィッシュマンズのライブをたまにやっているんだけど、例えば郁子ちゃんやUA、タカシくんとか、いろんな人が彼の歌をうたってくれるわけ。皆さん、オリジナリティに溢れる歌い方で歌ってくれるから、そういう人たちと同じようにオオヤくんと「SEASON」を演奏するときも、やっていて純粋に楽しい。お客さんも喜んでくれるし。今もライブで「次は『SEASON』やります」って言うとお客さんがワーッて沸いてくれるからね。
オオヤ シーンとするんじゃなくてね。
柏原 演奏者もお客さんも含めて、たぶんいろんなものでつながってるんだよね。今のPolarisのお客さんは、「SEASON」をリアルタイムで経験していない人がほとんどだと思うんだけど、楽曲に込められたものを受け継いでくれてる感じが伝わってきて。それがすごくうれしいよね。

──「オハナレゲエ」については、いかがですか。

オオヤ ここ最近、これはPolarisの曲で、これはohanaの曲とか、あんまり関係ないなと思っていて。もう、どういう形で演奏しても、いいんじゃないかなと思うんだよね。この曲は特にPolarisで演奏してみたかったという気持ちが純粋にあって。ohanaが持ってるあの雰囲気をPolarisで楽しんでみたいっていうのがシンプルな理由。実際ライブでは自分たちもお客さんもすごく楽しめる曲だから。
柏原 以前、So Many Tearsと永積タカシでツアーをやったことがあって。その中でたまたま「オハナレゲエ」をやったんだけど、そのときはBPMが速くて。いつか、もうちょっと丁寧にやりたいなと思っていたんだよね(笑)。だから、Polarisで演奏しようという話が出たときに、この曲のアレンジを作り直せることになって、すごくうれしかった。「俺だったらこうやる」みたいなことで面白かったよね。
オオヤ 「オハナレゲエ」に関していえば、単にPolarisでやりたかったってわけじゃなくて、“今のPolaris”でやりたかった。今まで作ってきた曲は大切なんだけど、その中でも、やっぱりものすごく大事にしている曲のひとつなので。そういう曲は、「オハナレゲエ」に限らず、今後Polarisでやってもいいかなと思っていて。

──今のお二人が演奏すれば、今のPolarisの音になるという。
オオヤ そう。例えば今回のアルバムに「Nocturne」という曲が入ってるんだけど、あの曲は2012年に出した「光る音」で1回音源化してるんだよね。再始動ということで、5年間休んでいる間の集大成みたいな意味を込めて収録したんだけど、ちょっとかわいそうな形で世に出してしまったなという気持ちがあって。本来であったら、この2018年に録音すべきぐらいのものを、ちょっと早まったなと。そういう話をスタッフと話をしていたら、「ぜひ録り直したほうがいいんじゃないですか」という話なって。

──今のPolarisの制作現場には、そういうことができるフレキシブルな空気があるということですね。「前録ったからもういいじゃないですか」にはならない。
オオヤ ならない。だから楽しいし、やりがいもあるよね。

──そういった自由さや風通しのよさみたいなものがニューアルバムの「天体」からも伝わってきます。作品全体の雰囲気もすごくフレッシュだし。
オオヤ よかった。老成した感じとかイヤだよね(笑)。

──さきほどもお話しされていたように、川上優さん、岩谷啓史郎さんという新しい血が入ったのも、すごく重要なのかなと思いました。
オオヤ 極端に言うと、新しい血が入ったどころじゃなくて、僕ら2人以外すべてが変わったから。スタッフも環境も含めて。それは大きいよね。改めてなんだけど、音楽ってやっぱりチームで作っていくものなんだなって。楽曲も、いろんなアイデアをみんなが持ち寄ってくれて、それを肉付けすることで完成すると思ってるのね。今はみんなで新しい音楽を作っているような感覚があるから面白い。逆に今、年老いた感じで演奏するのは無理なんじゃないかな。演技しないと(笑)。
柏原 周りの環境を含めて、バンドがここまで若返れるチャンスって、ちょっとないんじゃないかな。
オオヤ ないと思う。少なくとも俺の周りにはいないし。
柏原 キャリアを重ねていくと、どこかしら昔を引きずっちゃうところはあるからね。
オオヤ みんなだんだん保守的になってきたり。別にそれが悪いとは言わないけれども。

──過去のイメージをかたくなに守ったり、それが魅力になる人たちもいるけれど、Polarisはそういうバンドじゃないっていうことですよね。
オオヤ Polarisは幸か不幸か、一度立ち止まってしまった時間があったんで。逆にそのおかげで、こうしてフレッシュでいられるのかもしれないよね。
柏原 バンドのイメージを変えることができたのも、すごくラッキーだなと思っていて。とは言え、僕ら2人がやることは特に変わらないんだけど。自分たちの中にあるものを最大限に出すというだけで。
オオヤ 2012年から2015年の間に悩んでいた“Polarisらしさ”みたいなものからも解放されて、今はすごくシンプルで自由な気持ちでライブやレコーディングに臨むことができてる。なかなか、結成18年で、40代半ばっていうこの年齢で、ここまで音楽制作に純粋に向き合えるっていうのは幸せなことだなと思って。

■今後の活動について

──再始動以来、更地化したPolarisを数年かけて耕して、種を蒔いた結果が今の好況に結びついてると言えますよね。
オオヤ そうだね。時間をかけてやってきたことが、今結実してる感じかな。長い間、混沌とした状況が続いていたけど、今となっては、その時間が肥やしになってる気がする。この感じで、どんどん新しい曲を作りたいなと思ってて。レコーディングが終わった直後なのに、すでにもう曲作りしてるし。

──めちゃくちゃアグレッシブですね(笑)。
オオヤ もう勝手に自主的に。別に何用にとかじゃないんだけど、今、キてるなって。
柏原 パッケージという形で一旦はまとまったんだけど、アルバムの制作が終わった感じが全然しないんだよね。
オオヤ こういう感覚は久しぶりかもね。全然終わった感じがしない。完成したばかりで今はまだアルバムを客観的に見れないんだけど、もしかしたらずっと客観的にならないような感覚があって。なぜかと言うと今回のアルバムは、すごく主観的に作っているから。曲も詞も、こんなに個人的な感覚で作ったことは今までなくて。個人的って言うか、自分の中から出てきたものをそのまま生かしてる感じ。アルバムを作り終えてから、あまり今までのPolarisにはなかった感触だなと思って。

──曲とか言葉の出方が今までとは違う?
オオヤ 全然違う。例えばPolarisを始めて活動休止に入るぐらいの2000年初頭の頃は、自分も20代後半から30代前半だから、物事を達観するというか、冷めてるっていうか、ちょっと斜に構えてたような感じがあって。それが曲に現れてたと思う。今はそういう感覚が全然なくなっちゃって出てきたままを形にしてる。本当は「Music」の頃にやりたかったんだけど、とてもじゃないけど当時はそういうことができなくて。だからすごく今回は主観的に作った。

──そこも“生身”ということですよね。生身のコトバであったり、生身のメロディみたいな。
オオヤ そう。それがどういうふうに受け止められるかは、聞いてくれる人の感覚なので。とにかく今までとは相当違う感じが自分でしていて。「自分でこういうこと歌っちゃうんだな!」っていうことも含まれているし。だけどやっぱり、それがいいかな。「それでいい」じゃなくて、「それがいい」。

──そういう生々しかったりデコボコした部分を削ぎ落としたり、なめらかにしちゃうと今のPolarisにはならないわけですよね。
オオヤ そう思う。反省しているわけじゃないけど、かつてのPolarisは、ちょっとそういう部分を削ぎ落とし過ぎていたかなと思って。ほんとはもっと言いたかったんだけど言えなかった、というか。それが20代とか30代前半の、そのときなりの毒なのかもしれないけど。だけど今は削ぎ落とすのをやめた。あのね、今年に入ってみんなに、宣言してることがあるんだよね。

──なんでしょう?
オオヤ 「何でも正直に言うことにしました!」って(笑)。
柏原 ははは。
オオヤ これからは何でも言います(笑)。包み隠さず何でも。

──逆に何をしてもPolarisになるみたいな確信があるから、そういう心持ちになったのかもしれませんね。
オオヤ そうかも。あと、だんだん物事を達観できなくなってきた部分もある。
柏原 これは一生ですよ。こういう方向性で音楽を作っている限りそうなんです。逃げないように作ってるからね。それでいいんだと思うよ。
オオヤ うん。

──という感じで、結成からから今までの歴史をざっと振り返ってもらったわけですが、いかがですか?
オオヤ 改めて振り返ってみると、すごく濃い18年だったんだなと。
柏原 でも、なんか他人事みたいに思っちゃうね(笑)。「そんなことあったっけ?」みたいな。怖いんだよ、たまに。俺の場合、Polarisの18年と、さらにその前にフィッシュマンズの10年があるから。
オオヤ 長いねー。
柏原 でもその間、常にやってきたことって、ひたすら目の前の曲に対して真剣に向き合ってきたぐらいで。やってること自体は全然変わってないかもしれない。
オオヤ でも、今まであったことを振り返ってると、いろんなことが繋がってるんだなということが、よくわかるね。

──「Union」のレコーディングがohanaの結成に繋がっていたりとか。
オオヤ ね。本当そうだよね。
柏原 歳を重ねるごとに、だんだん、いろんなことが繋がってるということに気付いていくよね。
オオヤ 自分では、「全然違う感じでやってるぜ!」とか、そのときは思っていたかもしれないけど、全部繋がってるという。面白いね。

──では最後に、Polarisは今後どういう方向に進んでいきましょう。
オオヤ さっきの話で言うと、とにかく今の勢いで曲を作っていきたい。これまではレコーディングが終わると、しばらく曲作りはしないし、何もしなかったんだけど、今は自然に曲がたくさん生まれてきて。
柏原 純粋にレコーディングが楽しかったんじゃないの? だからだと思う。楽しくないんだったら曲作りとかやらないと思うし。
オオヤ 前は充電してからじゃないと、曲を作れないなって気持ちになることもあったんだけどね。

──今はむしろ放電してるぐらいの勢いですよね。
オオヤ そうだね(笑)。だから、止めないほうがいいなと思っていて。どんどん形にしていけたらいいな。
柏原 これからライブも控えてるしね。常に何か作らなきゃいけない状況が来るから、僕は音楽を作れるということを歓びとして感じていきたいなと。人間、サボろうと思えばいくらでもサボれるから。サボれる時期じゃないことを今は幸せに思いますね。


Polaris『天体』Polaris『天体』
2018.06.20 Release
DDCB-12357 / 2,800 Yen+Tax
Released by BUD X SSM | SPACE SHOWER MUSIC
01. わすれてしまうまえに
02. See The Light
03. グラデーション
04. 星屑
05. Nocturne
06. 真空
07. 反復
08. cyan(Album Version)
09. オハナレゲエ
10. とどく(Album Version)
11. ピリオド


関連スケジュール


関連アーティスト

Polaris

関連リリース