タビー・ヘイズ
(タビー ヘイズ)

PROFILE

本名Edward Brian Hayes、1935年1月30にロンドンに生まれた。“タビー”という呼び名は、ずんぐりした体型が由来。11歳からサックスを始め、15歳でプロ入り。51年には当時の英国で最も有力なモダン・ジャズ系ミュージシャンのひとりだったケニー・ベイカーのグループに抜擢され、アンブローズ楽団、ヴィック・ルイス楽団、ジャック・パーネル楽団などビッグ・バンドでの仕事もこなした。54年には自身のオクテット(8人編成)を立ちあげた。その後、「君は作曲や編曲にも取り組むべきだ」というトランペット奏者ジミー・デューカーのアドバイスを受け入れて譜面書きにも力を入れ、同年4月にはロニー・スコット(テナー)との双頭バンド=ジャズ・クーリアズを結成。アメリカ・ロサンゼルスに移住することが決まったヴィクター・フェルドマンからヴィブラフォンを譲り受け、プレイし始めたのもこの年のことだ。59年にはフルートも始めた。
 イギリスを代表するジャズ雑誌『メロディー・メイカー』の1960年1月23日号で発表された人気投票でヘイズは「年間最優秀テナー・サックス奏者部門」首位、「年間最優秀フルート奏者部門」2位、「年間最優秀ミュージシャン」6位、「年間最優秀スモール・コンボ・リーダー」7位に輝いている。
 61年秋に単独で渡米し、ニューヨークのジャズ・クラブ「ハーフ・ノート」に出演。マイルス・デイヴィスも彼の演奏を見に来たという。クラーク・テリーやエディ・コスタと共演した『タビー・ザ・テナー』(米エピック)はこの時のスタジオ録音だ。翌年夏に再び渡米してローランド・カーク、ジェイムズ・ムーディと競演アルバム『リターン・ヴィジット!』(英フォンタナ)を制作。64年、65年にも渡米した。英国でも自身のビッグ・バンドとスモール・グループの双方で、さらに精力的な活動を続けた。
66年に入ると本アルバムのカルテットを解散、夏に新たなグループを作る。共演メンバーはマイク・パイン(ピアノ)、ロン・マシューソン(ベース)、トニー・レヴィン(ドラムス)とさらに若くなるが、60年代後半にはドラッグにまつわる罪のため逮捕拘留された。69年にはルイス・スチュアート(ギター)らを加えてバンドを一新、ロックやフォークの影響を取り入れた音作りを目指すも、70年に心臓弁膜症のため活動を停止。72年カムバックするが、73年5月の英国ブライトン公演を終えて入院。6月8日、心臓手術中に絶命した。