モダン・ジャズ・カルテットw.ローリンド・アルメイダ
(モダン ジャズ カルテット ウィズ ローリンド アルメイダ)

PROFILE

メンバーはピアノのジョン・ルイス(1920年5月3日~2001年3月29日)、ヴァイヴのミルト・ジャクソン(1923年1月1日~1999年10月9日)、ベースのパーシー・ヒース(1923年4年30日~2005年4月28日)、そしてドラムスのコニー・ケイ(1927年4月27日~1994年11月30日)である。
結成されたのは1946年で、その時のベースはレイ・ブラウン、ドラムスはケニー・クラークだった。4人とも当時はディジー・ガレスピーのビッグバンドに在籍していた。グループの名前はミルト・ジャクソン・カルテットだったが、1952年にレイ・ブラウンが結婚相手であるヴォーカリストのエラ・フィッツジェラルドのバック・バンドに参加するために退団し、パーシー・ヒースが代わって参加した。さらに1955年にケニー・クラークが脱退してコニー・ケイと交替し、以来1974年までこの不動の4人で活動を続けた。クラークの脱退の原因についてはいろいろと言われているが、理由はいたってシンプルだ。当時のMJQでのギャラが安く、ヨーロッパのプロモーターからずっと高いギャラを提示されたのである。もっとも当時のジャズメンのクラブでのギャラは相当安く、唯一高かったのがチャーリー・パーカーだったという。パーカーの死後はデイヴ・ブルーベックが稼ぎ頭で、50年代も後半になるとMJQもその次に来るほどの人気グループとなっていった。
MJQは、1974年にいったん解散したが、1981年に再結成された。ケイが病気の時はミッキー・ローカーが代役をつとめたが、1994年にケイが亡くなるとヒース兄弟のひとりアルバート・ヒースが後任となり、MJQは1999年のジャクソンの死まで活動した。
MJQとしての初レコーディングは1952年のプレスティッジで、当時はまだクラークがドラムスを担当していた。1955年からドラムスがコニー・ケイとなりレギュラー・メンバーによるレコーディングが始まった。プレスティッジ・レコードのオーナー/プロデューサーのボブ・ワインストックはジョン・ルイスのピアノが嫌いだったようだが、ジャクソンと契約したらルイスがくっついてきてしまった。ジャクソンのレコーディングには、ルイスの代わりにホレス・シルバーを入れたものもある。「モダン・ジャズ・カルテット」を恒久的なグループ名としてレコーディングするとジャクソンが伝えたところ、ワインストックは当時「ニュー・ジャズ」という別レーベルを立ち上げるつもりだったので「ニュー・ジャズ・カルテット」にしてくれと執拗に食い下がったという。しかしMJQ名のアルバムがリリースされると結構売れたので、ワインストックもその後は文句を言わなくなったという。