ノーマ・メンドーサ
(ノーマ メンドーサ)

DISCOGRAPHY

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PROFILE

【ノーマ・メンドーサ】
 ノーマ・メンドーサは1931年10月10日にハワイで生まれた。父方はスペインとフィリピン系、母方はスコットランドとアイルランド系で、ジャケットの写真を見てもヨーロッパ系の血が強いことが感じられる。
 声楽(アルトより低いコントラルト)を勉強をし、その後ヴォイス・トレーナーのアーティ・シンガーについてポピュラー・ヴォーカルの唱法を学んだ。フィラデルフィアのクラブで歌い出し、TVプロデューサーのサム・バートンと結婚して引退したが数年後に離婚しステージにカンバックした。ウィズナーとは1960年12月2日にクラブでの仕事で出会い彼と1961年に再婚したが、その後離婚して現在はフロリダに住みヴォーカル・コーチをするなど元気に暮らしている。ジャケット写真の少女はノーマが最初の結婚でもうけた子供で、ウィズナーが結婚した時に養女にしたという。名前はノーマ・リー。
 本作以外のノーマのレコードは、デッカに吹き込んだシングル盤「ガール・オン・ザ・ビーチ/インクレディブル」とカメオ・パークウェイのサブ・レーベルであるウィンコートのアルバム『イパネマの娘』での歌(別名)がある程度。『イパネマの娘』はそこそこヒットし、ひそかに探しているファンは少なくない。

【ジミー・ウィズナー】
 ジミー・ウィズナーは1931年12月8日にフィラデルフィアで生まれた。クラシック音楽を学びテンプル大学では哲学を専攻したが、1959年にチャーリー・ヴェントゥラ楽団で一緒だったテゾーンとドラムスのチック・キーニーとジミー・ウィズナー・トリオを結成して、『ブルース・フォー・ハーヴィー』(フェルステッド・1959)や『アパーセプション』(チャンセラー・1960)などを発表した。メル・トーメ、カーメン・マクレエ、ダコタ・ステイトン、ハイローズら一流ヴォーカリストたちの伴奏者としてフィラデルフィアを中心に活躍し、1961年にデンマークの作曲家グリーグのピアノ協奏曲をロック風に味付けした「エイジャ・マイナー」をココモというアーティスト名で吹き込んだ。しかし引き受けてくれるレコード会社がなく、自らフューチャー・レコードを興してフェルステッドからリリースするとビルボード・チャートで8位、イギリスではBBCラジオが趣味の悪いパロディーだと放送禁止にしたにもかかわらずシングル・チャートで35位を記録した。ピアニスト、アレンジャー以外にも映画やTVのソングライター、プロデューサーとしても成功し、ニール・セダカ、ボビー・ヴィントン、ハービー・マン、ミリアム・マケバ、ジュディ・コリンズ、トニー・ベネット、カーリー・サイモン、アル・クーパー、バーブラ・ストライザンドほかポップスからジャズまで幅広いジャンルのレコードのプロデュースや編曲を手がけた。1968~1969年の一時期コロンビア・レコードでA&Rマンの要職にあった。現在ニュージャージー州で健在。