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SCHEDULE

Campanella [“PEASTA” Release Party] at 東京

CAMPANELLA / カンパネルラCampanella “PEASTA” Release Party @ WWW X

■ 2017/01/14(SAT) @WWW X
OPEN / START : 24:00
前売 : ¥3,000 / 当日 : ¥3,500 / U-25:¥2,300 ※下記参照下さい。(全て別途1drink)

▼LIVE
Campanella / C.O.S.A. / JJJ / KID FRESINO / NERO IMAI / 呂布カルマ
▼BEAT LIVE
Free Babyronia / Ramza
▼DJ
鷹の目
▼INSTALLATION
risa ogawa
▼BEER
Lagunitas Brewing

supported by BAL、Carhartt WIP、KANGOL

前売りチケットの一般発売日は2016/11/26(土)を予定しております。後日告知いたします。
※<U25チケット>は、25歳以下の方を対象とした割引チケットとなります。
ご購入の方は、入場時に顔写真入りの身分証明書をご提示ください。
ご提示がない場合は、正規チケット料金の差額をお支払いただきますので、予めご了承ください。


【Campanella】

CAMPANELLA / カンパネルラRapper(MdM)
1987年愛知県生まれ。
2011年、RCSLUM RECORDINGSのオムニバス『the method』でその名をヘッズの耳に焼き付け、ネット上にアップしたフリーミックステープ『DETOX』と、そのリメイク盤『RETOX』で注目を浴びる。同年、C.O.S.A.とのユニット、コサパネルラ名義で自主リリースしたEP『The Cosapanella from MdM』は、後に3枚組アナログとしてもリリースされた。
2012年、CAMPANELLA&TOSHI MAMUSHI名義のスプリット・アルバム『CAMPY&HEMPY』をリリース。インターネットラップバトル「INTER HOOD」二連覇を達成したほか、Youtubeで公開し、大きな話題を呼んだ楽曲「My California」をアナログでリリース。さらに、2013年、DJ ISSO & CAMPANELLA名義のオフィシャル・ミックスCD『hope is no hope』をリリースしたのち、2014年、待望のデビュー・ソロ・アルバム 『vivid』をリリース。その内容は各方面から称賛され、その年のヒップホップ年間ベストに多数選出された。
2015年末、勢いを増す東海を代表するヒップホップ・クルー「SLUM RC」のアルバム『Who Wanna Rap』に参加。数多くの客演やライブを精力的に行いながら、待望のセカンド・ソロ・アルバム『PEASTA』を完成させた。

【Ramza】

Ramza音楽作家。コラージュ作家。愛知県在住。
HIPHOPを原動とした実験を16歳頃から開始。
他と一線を画すBeatLiveは,圧倒的な凶暴さと美しさを数秒で鳴らす。
Campanella 『Peasta』への楽曲提供。
盟友Devecly BitteとのスプリットEPをRemixerにDUB-Russell,Free Babyroniaを迎え『+MUS』からリリース。
BUSH MIND,tohu beats ,レミ街,MADS,DJ ENDRUNのRemix WorkやPEACE OF MIND Compilation(Perfect Touch)への参加。
現在に至るまで数々の楽曲提供で圧倒的な音像を世に残した。

【Free Babyronia】

Free Babyroniaペルー、リマ出身。音楽家、造形作家。
2004年頃ラッパーとして曲作りを始め、Campanella, Ramzaと共に名古屋を拠点に活動する。
2012年にレーベル、AUN Muteを設立。
様々な名義で創作活動を行い、ラッパーへの曲提供、リミックス、国内外の映像作品への曲提供なども行う。
近年の作品は、コンテンポラリービート、ヒップホップの造形時代を記録したカセットテープ「Free Babyronia – Komaki (AUN Mute)」など。
2016年、spazio ritaで行われたグループ展「一絲 / 喪失 / 東雲」にて絵の展示を行うなど活動は多岐にわたる。

【C.O.S.A.】

C.O.S.A.1987年生まれ。愛知県知立市出身。
ローライダーカルチャーからHIPHOPへのめり込み、12歳から歌詞を書き始める。16歳の時に名古屋にてライブ活動をスタートし同時にビート制作も行う。
その後ビートメイカーとしてラッパー・CAMPANELLAとの共作「コサパネルラ」を発表。自主制作ながらも完売、翌年にはアナログLPも発売され、現在では中古市場にてCD盤はプレミア価格で売買されている。他にもビートメイカーとしてERA、MARIA(SIMI LAB)、jjj&MUTA、CAMPANELLA、TOSHI蝮、NERO、AUGUST、COVANなどにも楽曲を提供している。
2013年にラッパーとしての活動を再スタート。CLUB JB’Sでのライブを中心にライブ活動と制作を進める。2015年4月1日に自身初となる音源「Chiryu-Yonkers」を発表。C.O.S.A.をよく知る人物たちから高い評価を受け、1000枚を完売。同年のミュージックマガジン年間ベストに選出される。同じく2015年発売のKID FRESINOやBUSHMINDのアルバムにもフューチャリングで参加し、更にラッパーとしての活動を本格化させて行く。
2016年7月、KID FRESINOとのダブルネームアルバム「Somewhere」をSUMMITから発表。現在ソロアルバムの制作が進行中。

【NERO IMAI】

NERO IMAI俗世の向かい風。

【呂布カルマ】

呂布カルマJET CITY PEOPLE代表。
LIVE、制作、バトル、全部やる。抜かり無し。
楽しみたいだけなら俺じゃなくてもよくねー?

【JJJ】

jjj1989年生まれ。
川崎在住のトラックメイカー/プロデューサー、MC、DJ。
febb as Young Mason、KID FRESINOと共に結成したFla$hBackSのデビューアルバム『FL$8KS』を2013年リリース。
ソロアーティストとしては、2014年11月にデビューアルバム『Yacht Club』、2015年3月に『Yacht Club』のインスト盤『Yacht Club sailing gear session』、さらには2枚のCD-Rのビートアルバム『GGG』 、『THOUSAND』をリリースしている。
韓国のヒップホップアーティスト、Ugly Duck、Reddyと共に制作した楽曲『ASIA – Ugly Duck x Reddy × JJJ (Prod.by JJJ) (Cut by DJ Scratch Nice from NYC) 』が話題となり、その音楽世界はワールドワイドな拡がりを見せ始めている。
2016年、ISSUGIと共作フリーDLミックステープ「LINK UP 2 EXPERIMENT」を発表。
数多くのアーティストへ楽曲提供、客演参加のほか、TV番組のオープニング楽曲制作、ブランドのCM&BGM制作など、活動は多岐にわたる。

【KID FRESINO】

KID FRESINOCocaina oil Musica Equipo 11/25/1993 dogearrecords

【鷹の目】

プロデューサー/トラックメイカー/エンジニア
JET CITY PEOPLE主宰。
既存の「ヒップホップ感」にとらわれない攻撃的なトラックで呂布カルマ、CROSS BORN VANGUARD、K.Leeなど多くのアーティストにビートを提供。
エンジニアとしては2009年発売の呂布カルマ「13shit」のエンジニアリングを担当し、それ以来名古屋インディペンデントヒップホップのさまざまなプロジェクトに参加。
2010年、呂布カルマと共にレーベル「JET CITY PEOPLE」を立ち上げ、さまざまなアーティストのプロデュースを担当している。

【risa ogawa】

risa ogawa今と昔、生と死、隠陽をつなぐ刺繍作家。2009年から刺繍作品を制作。2010年名古屋芸術大学卒業。アウトサイダーアートに出会い、「無意識」に関心を寄せる。2016年4月spazio ritaにて3日間、インスタレーションの公開制作「内面動向外的表現」を行う。

【Lagunitas Brewing】

Lagunitas Brewing•夜明け前
1992年、シカゴ出身のトニー・マギー(Tony Magee)は地元の自家醸造ショップで買ってきた5ガロン(約18.9L)の醸造キットを使いビールを造っていた。彼が初めて造ったビールは「California Common Beer」と言う名前のお手軽レシピキットを用いたものであったが、その出来は惨憺たるものであった。そこでもう一度挑戦することにし、今度は「California Pale Ale」のお手軽レシピキットを用いてみることにしたところ、理由は全く分からなかったが今度はとても美味しいビールが出来上った。その瞬間、ミュージシャンでもあった彼はこう考えた。「楽器と同じように、ビール造りも練習をすれば上達出来るじゃないか」と。

•創業の地ラグニタス
1993年1月、カリフォルニア州ラグニタス(Lagunitas)。北カリフォルニアの中心地サンフランシスコから北北西に約36kmの場所にあるこの小さな街で、小さなブリュワリーが産声を上げた。その名もLagunitas Brewing Company。トニーと彼の妻カリッサ(Carissa)は、夫妻が暮らしていたその地で、わずか20年余りで全米第6位の規模に成長する事となるそのブリュワリーを立ち上げた。
最初は自宅のキッチンで醸造をしていたが、その後すぐに約1.5km離れた隣町のフォレストノールズ(Forest Knolls)に約70㎡の商業用スペースを借り、移転することとなる。創業当初の事を振り返り、創業者トニーはナノ・ブリュワリー(nano-brewery)より更に規模の小さいという意味でピコ・ブリュワリー(pico-brewery)と表現する。それだけ小規模なブリュワリーとしてLagunitasはスタートした。トニーは当初、醸造から樽詰めまでの工程全てを自分一人で担い、地元やサンフランシスコのバー・レストランに売り込もうと考え、もし失敗したとしても広い敷地のブリュワリーの中で生活すればいい、それくらいの気持ちでいた。結果的にその心配は杞憂であったのだが、成功をつかむまでにはしばらくかかった。

•ペタルーマにおける急成長
ブリュワリービジネスを始めてから6ヶ月が経った1994年の夏、その時点で既に発酵タンクを増設するなど、ブリュワリーは活況を呈していた。そして9ヶ月後の1994年後半、ブリュワリーは近郊のペタルーマ(Petaluma)に移転するという決断を迫られることとなった。ブリュワリーの醸造量がうなぎ登りに増えた事で、小さな街の下水道がブリュワリーから排出された酵母や原料のカスによって詰まり始めたことで、地元当局から下水処理設備の費用を一部負担しなければ出て行けと脅された為であった。彼らに与えられた猶予は90日。そうして90日後、約790㎡の敷地面積を誇る新たな場所でブリュワリーはビールを造っていた。
「ブリュワリー運営とは、ルービックキューブの様なものだ」とトニーが例えるように、全てが順風満帆に見えてもそうはいかないものであった。1994年の年間醸造量はわずか600バレル(約70kL)だったが、4年後の1998年には10,000バレル(約1,174kL)に達していた。新しいブリュワリーは以前のものと比較すると約11倍もの敷地面積を持っていた訳だが、最終的にこれだけのスペースを以てしても場所が足りなくなる程の急速な成長を遂げる事となる。どのくらい忙しかったかと言うと、1日あたり実に6回もビールを醸造していたそうである。そうして創業から5年目となる1998年には再び移転する必要性が生じてきた。
現在の場所となる、約1,579㎡の敷地面積を誇るこの新ブリュワリーは1999年に稼働を開始。時を同じくして、廃業したブリュワリーから放出された設備などを買い占める事に成功し、更に成長は加速する事となった。毎年20%を超える成長率を記録し、2004年の年間醸造量は27,000バレル(約3,168kL)だったが、10年後の2014年には約22倍となる601,420バレル(約70,575kL)となるまでに成長を遂げた。Lagunitasは全米で最も成功したブリュワリーの一つに挙げられている。

•IPAの誕生
1993年から翌年にかけてはトニーが自家醸造を行っていた頃から使用していたアルトビール酵母を用いてビールを造っていたが、決してその品質には満足していなかった。
ある晴れた夏の日のことである。Calistoga Brewing Co.のRandy GrempのパブでESBとピルスナーを飲んだ時、トニーはその味わいに感銘を受けた。すぐに彼はRandyに電話をかけてどの酵母を使っているかを尋ね、驚く事にRandyは快くそれを教えてくれた。
Lagunitasのビールは全て同じ特徴的なキャラクターを持っていると評される。これは酵母由来のものであり、トニーはそれをこう例える。「一瞬聴いただけでRolling Stonesの曲だって分かるのと同じで、一瞬でLagunitasのビールだって分かるのってクールだろ。」
1994年9月、新しい酵母を使いブリュワリーの100回目の醸造を祝う季節醸造として送り出されたのが「IPA」であった。当時はまだIPAのような度数の高くてホッピーなビールを誰もボトルでは販売しておらず、Lagunitasはそういった当時の西海岸に革命をもたらした。いわば今日で言われる「ウェストコースト・スタイル」のはしりである。
煮沸初期では控えめの量のホップを投入し、煮沸後期にどかっと大量のホップを注ぎ込むというホッピングテクニックを駆使して生み出された鮮烈なフレイバー、そして目立つようにはっきりと太くラベルに書かれた「IPA」の文字は、当時のカリフォルニアで最初にして唯一の「IPA」をフラッグシップに掲げたブリュワリーであり、「IPAと言えばLagunitas」というブリュワリーイメージを世間に広く浸透させていく事となる。

•「Lagunitas」というブランド
設立当初はスタイル名そのものを名前に冠する形でビールを販売していたが、1995年よりそれぞれのビールに商品名を付けるというブランディング戦略に乗り出すことにした。運の良い事に、プロのデザイナーであった彼の友人が無料でデザインを引き受けてくれた。そして誕生した最初の商品が初代のDogTown Pale AleとBugTown Stoutであった。同年、ブリュワリー初の季節醸造として送り出されたOktoberfestに始まり、アプリコットの味がしたというPeach Wheat Ale、現在の看板商品IPA、さらにその年のホリデービールとしてThe Lagunator、翌1996年1月リリースは9.2%の骨太ビールHairy Eyeball、そして3月にはThe Eye of the Hairballというウィートワイン、続く春の季節醸造は当初Hair of the Dog Ballという名前にしようと思いついたが、名称に問題があったため変更され、Maximus IPAと言う名前で世に生を受けた。今日でも販売されている最初期のダブルIPAの一つだ。その年の夏の季節醸造として作られた、アルコール度数8%の焙煎したモルトを使わないオートミールスタウトEquinoxは、既存の価値観にとらわれない自由な発想の元で生み出されたビールの代表格と要っても過言ではない。同年リリースのCappuccino StoutとOlde Gnarlywineは、毎年例外なく造り続けられている。怒濤の勢いで多種多様なビールを生み出したと同時に、現代へと脈々と受け継がれるラインナップはこの時点で既に完成していた。
2006年から2008年にかけて、フランクザッパのアルバムカバーをラベルにしたビールを販売し、様々な原料を使った実験的なビール達が送り出された。2009年には季節醸造としてホッピーウィートという他に類を見ないスタイルであった「Little Sumpin’ Sumpin’」が誕生、人気を博したため後に定番化される事となる。
こうして新しいホップ品種やテクニックを試したビールを世に送り出すなど、「Lagunitas」というブランドは顧客を常に楽しませながら築き上げられてきた。

•新天地シカゴ、アズサ
2012年、トニーの出身地であるイリノイ州シカゴに新ブリュワリーを建設する事を発表し、2014年より稼働を開始。ペタルーマにあるブリュワリーと同規模の設備、約27,870㎡の敷地面積を有するこの新ブリュワリーは、2015年に年間1,000,000バレル(約11,734kL)の醸造を行う事を目標にしている。こうして、アメリカ中部や東海岸にこれまでよりも早く「新鮮なビール」を届ける事が可能となった。その後も増え続ける需要に対応するため2015年6月、南カリフォルニアの中心地ロサンゼルス近郊の街アズサ(Azusa)に第3のブリュワリーを既に建設中であることを発表。2017年操業開始予定で、当初の醸造能力は420,000バレル(約49,286kL)だが、こちらもシカゴと同様に最終的には1,000,000バレル(約11,734kL)まで拡大可能となっている。

•Beer speaks, people mumble.
カウンターカルチャーよろしく社会に対して挑発的だが、しっかりとしたビジネス基盤のもとに美味しいビールを届ける事によってたくさんのファンを魅了し続け、大事にしてきたLagunitas。
彼らの造るビールに説明は必要ない。耳を澄ませて飲んでみよう。ビール自身があなたに全てを語りかけてくれる。

関連アーティスト

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